マデイラ島でブドウ栽培に向いているのは島の南部の標高330mから750mほどの比較的標高が低く、サイブロとよばれる石ころの混じった赤い凝灰岩の土地である。ただし、マデイラでは土壌や標高などで畑の格付けはされていない[8]。
ブドウ畑の多くは山の斜面に作られている。また、入植初期には小作人に貸し与える形でブドウ畑が作られたため、一般に畑の面積は小さく機械化が進んでおらず、21世紀になっても人力に頼るところが多い[9]。
マデイラのブドウ畑は棚造りが多く、2mほどの高さのワイヤーを使った棚に蔓をはわせている。かつては樹木やサトウキビにブドウの蔓を這わせる栽培方法もとられていた[10]。
マデイラで栽培されるブドウは推奨品種と許可品種の2つのグループに分けられる。現在一番多く栽培されているのは黒ブドウで推奨品種のネグラ・モレ。他には白ブドウのセルシア、ボアル、ヴェルデーリョ、マルヴァジアなどが推奨品種とされている。推奨品種の中でも白ブドウのセルシアル、ボアル、マルヴァジア・カンディダ、ヴェルデーリョ、テランテス、黒ブドウのバスタドルは伝統的品種と呼ばれる
マデイラというのはポルトガルで「木」を意味し、その名の通りびっしりと樹木の覆われた島であった。開拓者はこの木を火を放って焼き払ったため、火山岩の上に焼けた木が重なりマデイラ島独特の土壌が形成された[12]。
15世紀以降マデイラ島はヨーロッパと新大陸や喜望峰周り航路の中継基地として栄えた。このころからマデイラでワインが主要な輸出品であった[12]。
イギリスは、植民地にロンドン発のイギリス船以外の入港を認めない方針を打ち出したが1661年にポルトガル王女のキャサリンと結婚したチャールズ2世はマデイラから直接イギリス植民地にワインを提供することを認めたため、新大陸をはじめイギリス植民地ではマデイラが飲まれるようになった[12]。
マデイラ独特の加熱処理は17世紀に始まったとといわれている。イギリスとインドを往復した船に積まれていたマディラのワインが赤道を航海する時の暑さの所為で独特の風味が出て美味しくなったことにヒントを得て、人工的に加熱することにより同じ効果を得ようとさまざまなアイディアが試された[13]。
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マデイラの酒精強化は18世紀中ごろに始まったとされているが、なぜ始まったかについてはよくわかっていない。ジブラルタル海峡の紛争によって島に寄港する船が減りワインの在庫が増えたので、貯蔵効率と保存性を高めるために蒸留したワインを添加した。あるいは、ワインの品質安定のために、シェリーやポートの真似をしたなどの説がある[12]。
アメリカ合衆国の独立するとマデイラ以外のワインが米国市場に入り込み、マデイラの独占的地位が低下した。また十九世紀後半にはウドンコ病やフィロキセラなどの病害によりマデイラのワイン産業は大きな打撃を受けた。病害に対しては、アメリカ品種のブドウの台木にマデイラの品種を接ぎ木することでブドウ栽培は回復していった