現在の日本では、院政は事実上禁止されている。1889年に制定された旧皇室典範第10条「天皇崩スルトキハ皇嗣即チ践祚シ祖宗ノ神器ヲ承ク」によって天皇の譲位は禁止され、天皇の崩御によってのみ皇位の継承がおこなわれることが規定された。これにより、院政の前提となる上皇の存在は否定された。
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院政を否定的に見る考え方は、江戸時代の朱子学者(例:新井白石『読史余論』など)にも見られるが、院政期当時は天皇家の当主を擁した「朝廷」という組織が維持されれば天皇親政でも院政でも、天皇家の当主が天皇に在位しているか退位しているかの違いしか認識されていなかった。ところが、皇室典範の制定は皇位継承が法律によって厳密に行われることを意味するようになり、こうした曖昧な形態を持った「朝廷」というあり方そのものを否定することとなった[2]。これによって、従来は存在しなかった「皇位にあってこそ天皇として振舞える」「譲位して皇位を離れた天皇はその地位も権限も失われる」という概念が形成されるようになり、その後の日本人の一般的な院政観や専門家の院政研究にも影響を与えることとなった。
そして敗戦後の1947年に法律として制定された現行の皇室典範でも、第4条で「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」とし、皇位は終身制であり、皇位の継承は天皇の死去によってのみおこなわれることを定めている。さらに第2条で皇位継承の順序を、第3条でその順序の変更について規定しており、天皇が自らの意思によって継承者を指名できなくなっている。
君主位譲位者が後継者の後見として実質的な政務を行うという政治体制は、恒久的な制度としては世界史的にきわめて稀であり、他にはヴェトナムの陳朝にその例を見る程度である。